報恩講善男善女の集まれり
報恩講とは、浄土真宗各派で、浄土真宗の宗祖であります親鸞聖人の御命日に、聖人の御恩やご遺徳を偲ぶ法要のことです。

俳句をタップ・クリックしてみて下さい。
報恩講とは、浄土真宗各派で、浄土真宗の宗祖であります親鸞聖人の御命日に、聖人の御恩やご遺徳を偲ぶ法要のことです。
私の家の近所には、冬になると、石蕗の花が、黄色く明るく元気に沢山咲きまして、寒風をものともせず咲き誇るのであります。
一か月過ぎる毎にめくっていくカレンダーも、年の暮れの十二月になりますと、最後の十二月の一枚だけを残しているのであります。
冬になりますと、日が短い短日になりますが、お昼間の日なたの暖かさがとても貴重で、惜しむのであります。
年の暮れの十二月は、師走ともいう通り、時間の流れがほかの月よりもずいぶんと速く、時計の針も速く感じます。
冬の日の短い、短日の季節には、冬の雲が空に垂れこめる日もありまして、束の間の日差しの暖かさを惜しむのであります。
冬の寒風は寒いものですが、そんな寒風をものともせずに、野外で仲良く遊ぶ子供達をほほえましく見るのであります。
冬枯れの地味な景色の中、常緑の松の緑色が目立ちます。そんな松を、臨済禅師がお寺に植えた経緯が『臨済録』にあります。
冬の短日は、日が短く、あっという間に日暮れになってしまいます。そんな短日では、過ぎていく時間が無常なのであります。
山茶花は、冬の寒い時期に、明るい花を元気いっぱいに咲かせる強い花ですが、咲かせているのは、山茶花の根の力でもあります。
小春日和の夕日は、柔かい日差しです。その中を散歩などで歩いていますと、サクサクと落ち葉を踏む音が哀れに感じます。
冬の寒風の中、水仙が咲きます。冬の朝に、その白い花が朝日に照らされている情景は、清廉な水仙の花がより一層、清廉に見えます。
冬の深まりとともに、私達の目を楽しませてくれた紅葉の葉が、風も吹いていないのに、ハラハラと散る様子は淋しいものです。
冬至のころ、太陽の高度の関係で、窓から部屋に差し込んでくる陽が、大きく傾き、部屋の奥まで届くのであります。
冬に日向ぼこをしておりますと、特別な事は何もありませんが、ただただ幸せな気持ちがどこからかにじみ出てくるのであります。
親鸞聖人のご命日の法要に、法座でご法話を聴いた後に振る舞われる温かい小豆粥が、とても美味しく有難いのであります。
お晨朝とは、朝一番の勤行のことですが、親鸞聖人の御命日を偲ぶ報恩講という法要のお晨朝では、雅楽の鳴り物もあります。
冬に家にこもりがちになる時期に、仏教書を読もう、と、古書店巡りなどをしたのは良いですが、平積みのままです。
お寺によっては、朝一番に、勤行がありますが、浄土真宗では、正信偈(しょうしんげ)という親鸞聖人作の偈文をお称えします。
秋の俳味溢れる季節に「俳句本を読み込もう」と心に決めたのは良いですが、紅葉が散る季節になっても、読めてません。