秋惜しむ増えるばかりの仮名法語
秋を惜しむ季節に、仮名法語を「読書の秋」とばかり買い込み増えていくばかりです。仮名法語とは、かなまじりの仏教書のことです。

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秋を惜しむ季節に、仮名法語を「読書の秋」とばかり買い込み増えていくばかりです。仮名法語とは、かなまじりの仏教書のことです。
秋の空気は、透明に澄んでいますが、その中でも、お寺の御本尊はどっしりといつもと変わらず、動くことなく鎮座ましましています。
彼岸花は、律儀にも、毎年同じ場所に花を咲かせます。毎年のことですが、その自然の造形の神秘に毎年、驚嘆致します。
ある方の形見に、その方が生前に持っておられた自動巻きの腕時計を頂きました。秋の夜に、その時計を振ると再び動きました。
仮名法語とは、お坊さんが、「かな」まじりの易しい文章で、仏教の大道を説いた本のことで、秋彼岸に仮名法語を読みました。
秋の夜長を使い、岩波文庫の難しい仏教書を一冊、最後まで読み切ろう、と改めて決意致しました。なかなか読めませんが・・・。
秋のお彼岸に、御仏壇に白い菊を買って参りまして、そしてお供え致しました。その白さから、清廉な印象を受けました。
空念仏とは、実の伴なっていないお念仏といったところで、正信偈とは、親鸞聖人作の偈文で、浄土真宗でお称えします。
秋は、急に深まり、朝晩がめっきり冷え込むようになりました。急いで引っ張り出した長袖でも、そぞろ寒を感じるのです。
私は、万年筆を使いますが、以前購入したボトルインクがありまして、まだ、蓋を開けてさえもいないものがあります。
「読書の秋」と意気込んでみましても、まだ、読み込めていない本が「読んだつもり」で平積みになっております。
万年筆を使いますが、ブルーブラックのボトルインクをだいぶ使い、残りのインクの量が少なくなり、ボトルは光が透けます。
「仮名法語」とは、お坊さんが、「かな」まじりの易しい文章で、仏教の大道を説いたもののことですが、増えるばかりです。
市バスを途中下車して運動不足解消に歩いたり致しますが、その道すがら、お地蔵様が祀られてあり、お供えにススキがありました。
夏が終わり、秋がまだ浅い頃、半袖ではちょっと肌寒いのですが、長袖では暑く、腕まくりをして一日を過ごしていたのでした。
蜻蛉(トンボ)は、ここでは赤トンボのことで、秋の深まりにつれ、だんだんと赤トンボの胴が赤く色づいていくのであります。
秋の夜長は、「読書の秋」とばかりに、意気込んで、俳句の入門書を机の上に置いていますが、意気込みだけで読めていません。
今年の秋は、般若心経の提唱本を一冊読み切りましたが、実に奥深く、なかなか自分の日常に、学んだことを落とし込めません。
万年筆のボトルインクの新品を買って参りまして、空になったインク壺に入れ替えました。あと数年は持つでしょう。
「読書の秋」とばかり、俳句の入門書を読もう、と机の上に俳句本を置きましたが、なかなか読めず、平積みになっています。