葉桜やあの人の顔思い出す
桜の花が終わり、桜の花の華やかで浮足立った季節が終わり、葉桜の季節になりまして、昔の出会いのことを思い出したのであります。
俳句をタップ・クリックしてみて下さい。
桜の花が終わり、桜の花の華やかで浮足立った季節が終わり、葉桜の季節になりまして、昔の出会いのことを思い出したのであります。
ある年、梅雨が極端に短く、梅雨中の日照も少なく半袖の腕が日焼けする機会も少なく、腕が白いままの梅雨明けとなりました。
五月晴れの中、ウォーキングなどをしておりますと、実に気持ち良く、五月晴れを惜しむように、深呼吸などをしたのであります。
初夏の若竹は、伸びるのがとても速いです。去年、伸びた竹の高さを早や追い越してぐんぐん、真っ直ぐ伸びます。
良寛和尚は、真っ直ぐに伸びる竹を愛したと伝えられますが、若竹は、何のためらいもなく一直線に真っ直ぐ上に伸びます。
燕の子は、親鳥から餌を与えられるとき、巣から乗り出すように身を乗り出し、大口を開けて鳴いて餌を求めます。
梅雨寒の日に、巣から落ちた雀のヒナを拾い、近隣の動物園に保護をお願いしたことがあり、妙に雀のヒナのその後が心に残りました。
坐禅会で禅寺に通いますが、山寺ですので、昆虫が本堂に紛れ込むことがあります。ある夏の日には、蟻が紛れ込んだのでした。
山の中にあるお寺の坐禅会に通っています。梅雨の季節はうっとおしいですが、それでも梅雨の晴れ間に坐禅をすると気持ち良いです。
燕の子は成長も速く、いつの間にやら、巣から立ち上がり、身を乗り出すようにして、大口を開けて親鳥から餌をもらうのであります。
百日紅はその名のごとく、百日でも咲き続けそうな勢いで元気に咲きますが、晴れが続き雨が降らないと、散り始め、哀れを感じます。
何かの病気で病院に掛かったとき、病棟の廊下が長く暗かったことを思い出します。夏の終りの感傷的な気持ちになる季節でありました。
子供の頃の夏は、何と言っても長いようで短い夏休みです。夏の終りになりまして、子供の頃を想い出し、往く夏を惜しむのです。
百日紅は、明るい花が夏の青空に実に良く似合います。当サイトのトップページにも、青空をバックにした百日紅の画像を使いました。
何年か前の夏の終り頃に、病院に掛かりましたが、予約外で診察を待っておりました。予約外ですので、病院の待合で長く待ちました。
鯉のぼりが風を受けて、大きな口を開けているのは、風のためでありますが、何かを飲み込もうとしているかのようにも見えました。
灼熱の真夏に、百日紅はその紅色の花を元気いっぱい咲かせます。その様子が、命の炎を燃やして咲いているかのように感じます。
新緑の頃、ウォーキングなどをしておりますと、新緑の初々しい息吹を感じ、立ち止まって、その元気の良い息吹を味わうのでした。
坐禅会で禅寺に通うのですが、その禅寺は、山寺でもあり、新緑の季節には緑に囲まれ、ことのほか、特別な空間のように感じます。
夏も終わりになって参りますと、夕方の西日は、真夏のそれと違って柔かいですが、そんな中を独り歩くのも、風情があります。